ありがた〜い話ーーvol.2
2009年 07月 15日
前回の続き・・・
そして、早急に見つけたお部屋は、近所に気を遣う必要もなく、立ち
退きも恐らくないであろう、一軒家の店子でありました。おばあちゃん
が一人とヨークシャテリアが一匹、下宿という感じではなく、壁を隔て
てた離れ?の生活がスタートしました。
一軒家、庭付き昔6畳(+板間)2間にキッチン3畳の広さに魅かれま
した。学生のアトリエとしては十分です。バス・トイレも自分専用がつ
いていましたしね〜。
まぁ部屋の入り口がドアではなくて、お庭からカラカラと開けて入る
冊子というのが難と言えば難ですが、そちら側をアトリエにしたので、
何の問題もありませんでした。なんせ目の前がお庭なんですから!
そして、快適に過ごし始めてしばらく経った頃でしょうか?
色んなものを整理すべく、家具やTVを粗大ゴミに出しました。
そうしたら大家さんが、今時の若い人がTVも無しなんて・・と言って
使ってないのがあるからと言って、20インチくらいのTVとビデオデ
ッキをくださったんです。冬に引越したので、確か石油ストーブもく
ださいました。
その当時私はTVをまったく見ない子でした。美術予備校生の時に勉学
に励むため、自らTVを禁止にしていたのです。なので無い物は見れな
いので、見ない習慣がついていて、その後人から頂いた小さなTVも小
さいので見る気もおこらず、どうせみないならいいや〜と思って捨てた
んですよ。ニュースは新聞とってましたしね〜。
粗大ゴミは家の前に出すので、それをみて、不憫に思ってくださったん
でしょう。今までついてなかったのが、嘘のように、いたれりつくせりで
した。
これは、ありがたい話の序章にすぎません。
そしておばあちゃんとも仲良く過ごしていたある日、またまた悲劇が
襲いかかります。専門2年生の終わり頃、学校が企画してくれたN.Y
アート旅行に参加したのです。旅費は両親が出してくれたんですが
おこづかいくらいは自分で沢山稼ごうと思い、バイトをかけもちして、
無理したのがたたったのか?まだまだ治安の悪かったN.Yを一人歩
きして緊張が続いたせいか?引越した日取りや方角、NYへの行った
日と方角がわるかったのか?とにかく、帰国後、寝込むほどの大病を
患いました。神経のストレスでできるヘルペスが左耳の中にできたの
です。最初耳がぼわ〜んとしてきて、飛行機の圧が抜けないような?
内科では、たまにありますから、と風邪薬を渡され、いっこうに治らず、
そのうち平衡感覚が無くなってくるんですよ。
しんどい身体を起こして、これから1年、大切な卒業制作のための
重要な場所取りにでかけいって、様子がおかしい私をみて、年配の
同僚が耳が痛いなら、耳鼻科へ行ったほうがいいと助言してくれて、
そういうものか〜と思い、ようやく近所の耳鼻科にいったら、ヘルペス
でした。町医者なので、塗り薬と呑み薬だったかなぁ・・・
全然治らず、ある朝、気づくと、顔が歪んでいるんです。
なに?と思い医師に相談すると、合併症で左顔面神経麻痺を併発
しておりました。
その頃には、麻痺で目をしっかり閉じることができないので、医師に
眼帯を渡され、目薬をさして、寝てくださいと。寝ている間目がひらき
っぱなしになると、眼球が乾いてよくないそうな・・・。で、顔のゆがみ
はというと、電気マッーサージで治療していくとか言ってるんですよ・・・
口からは飲物がこぼれるしまつ・・・
このまま顔が治らなかったら・・と自殺まで一瞬頭をよぎりましたね・。
で、こんな治療で治るのか?と疑い、母からの指示でようやく東京に
いる姉夫婦に付き添ってもらい、西国立にある共済病院に連れて行っ
てもらいました。昔なら新薬が無かったので、入院でしたね。しかも
もう少し遅かったら顔歪んだまま固まってましたよ。
と言われ、ぞ〜っとしました。
そこから、一日おきだったか?毎日のように病院に通い、1時間の点
滴を受け、喉注射をされ(めちゃくちゃ痛いんですよ^^;)その都度、
声が一時間は出せないほどになり、病院と寝たきりの生活をしばらく
しいられました。学校などはまったく行けなくなりました。
体力がすっかり落ち、心身ともに2、3ヶ月は復活できなかったですね・・。
いつも5、10分で歩ける所が、1時間もかかるんです。そうやって散歩
しがてら体力を復活させていったんです。
家には通院だから大丈夫だなどといってましたが、まぁ最悪の日々
でしたね。
その間、昼夜とはごはんを作っては、もってきてくださったのが、大家
さんであるおばあちゃんなんです。
この時ほど、『遠くの親戚より近くの他人』という言葉が身にしみた時は
ありませんでした。
おばあちゃん、本当にありがとうございました。
そして、まだまだありがたい話は続く・・・
写真は学生の時の北海道スケッチ旅行のその場で描いた作品で、
美瑛の丘ですね〜タイトルは『見渡す限り』
そして、早急に見つけたお部屋は、近所に気を遣う必要もなく、立ち
退きも恐らくないであろう、一軒家の店子でありました。おばあちゃん
が一人とヨークシャテリアが一匹、下宿という感じではなく、壁を隔て
てた離れ?の生活がスタートしました。
一軒家、庭付き昔6畳(+板間)2間にキッチン3畳の広さに魅かれま
した。学生のアトリエとしては十分です。バス・トイレも自分専用がつ
いていましたしね〜。
まぁ部屋の入り口がドアではなくて、お庭からカラカラと開けて入る
冊子というのが難と言えば難ですが、そちら側をアトリエにしたので、
何の問題もありませんでした。なんせ目の前がお庭なんですから!
そして、快適に過ごし始めてしばらく経った頃でしょうか?
色んなものを整理すべく、家具やTVを粗大ゴミに出しました。
そうしたら大家さんが、今時の若い人がTVも無しなんて・・と言って
使ってないのがあるからと言って、20インチくらいのTVとビデオデ
ッキをくださったんです。冬に引越したので、確か石油ストーブもく
ださいました。
その当時私はTVをまったく見ない子でした。美術予備校生の時に勉学
に励むため、自らTVを禁止にしていたのです。なので無い物は見れな
いので、見ない習慣がついていて、その後人から頂いた小さなTVも小
さいので見る気もおこらず、どうせみないならいいや〜と思って捨てた
んですよ。ニュースは新聞とってましたしね〜。
粗大ゴミは家の前に出すので、それをみて、不憫に思ってくださったん
でしょう。今までついてなかったのが、嘘のように、いたれりつくせりで
した。
これは、ありがたい話の序章にすぎません。
そしておばあちゃんとも仲良く過ごしていたある日、またまた悲劇が
襲いかかります。専門2年生の終わり頃、学校が企画してくれたN.Y
アート旅行に参加したのです。旅費は両親が出してくれたんですが
おこづかいくらいは自分で沢山稼ごうと思い、バイトをかけもちして、
無理したのがたたったのか?まだまだ治安の悪かったN.Yを一人歩
きして緊張が続いたせいか?引越した日取りや方角、NYへの行った
日と方角がわるかったのか?とにかく、帰国後、寝込むほどの大病を
患いました。神経のストレスでできるヘルペスが左耳の中にできたの
です。最初耳がぼわ〜んとしてきて、飛行機の圧が抜けないような?
内科では、たまにありますから、と風邪薬を渡され、いっこうに治らず、
そのうち平衡感覚が無くなってくるんですよ。
しんどい身体を起こして、これから1年、大切な卒業制作のための
重要な場所取りにでかけいって、様子がおかしい私をみて、年配の
同僚が耳が痛いなら、耳鼻科へ行ったほうがいいと助言してくれて、
そういうものか〜と思い、ようやく近所の耳鼻科にいったら、ヘルペス
でした。町医者なので、塗り薬と呑み薬だったかなぁ・・・
全然治らず、ある朝、気づくと、顔が歪んでいるんです。
なに?と思い医師に相談すると、合併症で左顔面神経麻痺を併発
しておりました。
その頃には、麻痺で目をしっかり閉じることができないので、医師に
眼帯を渡され、目薬をさして、寝てくださいと。寝ている間目がひらき
っぱなしになると、眼球が乾いてよくないそうな・・・。で、顔のゆがみ
はというと、電気マッーサージで治療していくとか言ってるんですよ・・・
口からは飲物がこぼれるしまつ・・・
このまま顔が治らなかったら・・と自殺まで一瞬頭をよぎりましたね・。
で、こんな治療で治るのか?と疑い、母からの指示でようやく東京に
いる姉夫婦に付き添ってもらい、西国立にある共済病院に連れて行っ
てもらいました。昔なら新薬が無かったので、入院でしたね。しかも
もう少し遅かったら顔歪んだまま固まってましたよ。
と言われ、ぞ〜っとしました。
そこから、一日おきだったか?毎日のように病院に通い、1時間の点
滴を受け、喉注射をされ(めちゃくちゃ痛いんですよ^^;)その都度、
声が一時間は出せないほどになり、病院と寝たきりの生活をしばらく
しいられました。学校などはまったく行けなくなりました。
体力がすっかり落ち、心身ともに2、3ヶ月は復活できなかったですね・・。
いつも5、10分で歩ける所が、1時間もかかるんです。そうやって散歩
しがてら体力を復活させていったんです。
家には通院だから大丈夫だなどといってましたが、まぁ最悪の日々
でしたね。
その間、昼夜とはごはんを作っては、もってきてくださったのが、大家
さんであるおばあちゃんなんです。
この時ほど、『遠くの親戚より近くの他人』という言葉が身にしみた時は
ありませんでした。
おばあちゃん、本当にありがとうございました。
そして、まだまだありがたい話は続く・・・
写真は学生の時の北海道スケッチ旅行のその場で描いた作品で、
美瑛の丘ですね〜タイトルは『見渡す限り』
by asako_cafe | 2009-07-15 12:07 | ASAKO's Exhibition